杉山理事長の急逝を偲ぶ

神道夢想流、西岡常夫泰法先生よりご提供いただきました。

日本古武道振興会理事長・杉山正太郎氏が昭和三十九年二月二十二日に心筋硬塞の為に急逝された。その時に清水先生の書かれた追悼文があるのでこれを披露して清水先生の文章から先生のお人柄を偲んでみたい。西岡常夫泰法

杉山理事長の急逝を偲ぶ

杖 道 範 士
清 水 隆 次

二月二十二日(昭和三十九年)土曜日の午後二時頃でした。藤田西湖先生より電話があって、杉山理事長が心臓病で急逝された、との御通知を受けた、が、余りにも思いがけない突然のことなので、ハッとして、しばらくはただ、何も言うべき言葉もなく、一種異様な気持ちが、全身を走ったように感じて電話器を持ったまま立ち尽した次第です。
実際十日程前、田村町の「紅梅」で古武道の総会を開いて、本年度の活動準備計画について皆様とも話合い、杉山理事長も元気で大いに頑張っておられ、種々と将来の発展策について計画やら抱負を語られていた矢先のこととて、この唐突のお電話にはがく然とさせられました。ともかく藤田先生とも打合せて急拠杉山先生の新宅へお悔やみに馳せつけました。
杉山先生と私とは、昭和十年四月一日、日本古武道振興会結成以来の同志として松本会長のもとに協力して、その振興を計ってきた最も親しい、何でも話し合える仲でありました。
終戦後、川内氏のごたごたの後、古武道振興会の再建に当つては、杉山先生は会長を援けて藤田、国井、私の常任理事が協力し会の整理をして、直ちに日比谷公会堂に於て、東京都後援のもと古武道大会を開催したところ、立錐の余地なき満員の盛況裡に大会を終了し、古武道界に新しい一歩を築きましたが、これは杉山先生の血のにじむ苦心の賜であったと思います。
次で日比谷音楽堂、青山青年館、明治神宮、遠くは伊勢神宮、名古屋の熱田神宮、香取神宮、福島県相馬野馬追祭その他に市武道大会も開催する等、会社社長の多忙な余暇を無理されて、古武道振興のために日夜努力されたことは実際、今思い返しでも頭が下がる思いが致します。
杉山先生は去年の七月国際自動車整備株式会社社長の要臓を定年にて退職され新装成った新居に落付かれ、いよいよこれから古武道のために専念されようとなさった矢先突然にも病魔の侵すところとなって、急逝されました。生者必滅会者定離とはいいながら、返す返すも惜しまれてなりません。
私共と致しましては、実に残念でなりませんが、家族の方々もあの元気な先生が、こんなにもあっけなく、ご他界なされるとは本当に夢にも思い及ばなかった事と、その心中をお察し申し上げる次第でございます。
また全国の古武道愛好の士、又は私達の古武道振興会と致しましても、その進展がこれからという処で、先生もさぞかし心残りのことであったろうと存じ上げます。
私達は古武道振興会の発展こそ、ただに同好の士の目標のみならず、杉山先生をお慰めする唯一の途であり、残された家族の方々をもお慰めする唯一の途であろうかと存じ上げます。
古武道を志す我々一同は一致協力して先生のご逝去を無にすることなく、その振興のために努力奮闘して先生のみ霊をお慰め致さねばならぬと、ここに改めて決意を堅く致すものでとざいます。
杉山先生
私は先生の急逝を悼んでこの拙文を、杉山理事長の霊前に棒げて、文短にしてその意を尽し得ませんが、唯唯先生のみ霊安かれと折る次第でございます。

合 掌